仮点検

哲学書の感想など。

文系大学院進学について

11月の時期にもなると、世の中の文系大学生の大半は就職先も決まり、社会に放たれる前に最後の大学生活を謳歌していることだろう。
しかし中には色々な事情で現在も就職活動を続けている方もいるだろう。私自身もその一人であった。そして、その中で大学院進学を少しでも考えた人に是非見て欲しいのが今回の記事になる。

最初に結論を述べるが、本気で研究者になりたい、本気で大学教員になりたいという方、もしくは大学院を修了することでしか取れない資格(公認心理師とか)を目指している方以外は基本的に文系大学院進学はおすすめできない。(「基本的に」と言ったのは例外を想定しているのだが、その例外については最後に述べる)。それはなぜかを説明していくが、その前に文系の大学院とは何かについて触れておく。

文系大学院とは

大学院とは学校教育法第65条第1項で次のように定められている。

  大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめ、又は高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培い、文化の進展に寄与することを目的とする。

要は、大学にプラスして学問の研究を続け、文化の進展に寄与することを目的としている機関が大学院なのである。(「高度の専門性が求められる職業を担うため~」の部分は専門職大学院の話なので今回は置いておく)。
ここで「研究」というワードが出てきたが、これは大学の卒業研究の延長と考えて欲しい。中には卒業研究がない学部もあると聞いているが、卒業研究が課されている場合、大体誰かの先生の元で、自分の興味関心に沿ったテーマで卒業論文を書くという流れになると思う。大学院ではそれの延長を行う。すなわち、誰か先生の元で、自分の興味関心に沿ったテーマで論文を書くのである。
また、大学院には授業もあるが、大学の授業のように講義を聴くものは少なく、文系の場合本や論文を授業参加者で輪読し、レジュメを作るというゼミ形式のものがほとんどである。(これは理系でも同様かもしれない)。
また、修士課程(博士前期課程と呼ぶ大学院もある)や博士課程(同様に博士後期課程と呼ぶ大学院もある)というものは、大学院の中での段階を表す。一般的に修士課程は2年、その後に博士課程が3年である。修士課程を卒業する際に「修士論文」を、博士課程を卒業する際に「博士論文」をそれぞれ書き、それが認められれば修了できる。

さて、大雑把ではあるが、大学院について触れたので、ここからは文系大学院の進学が基本的におすすめできない理由を述べていく。

おすすめできない理由① 研究は厳しい

当たり前の話かもしれないが、研究は厳しい。今まで書かれていなかったことを自分の力で論文にするのだから当然である。もし卒業論文のように、自分の力で物事を考え、書くということが苦手であるなら、大学院の進学は絶対におすすめできない。
まず、大学院の入学試験は、英語や専門分野に関する知識問題もあるが、それと同等(もしくはそれ以上に)重視されるのが研究計画書である。研究計画書とは、自分の問題意識を明らかにした上で、どのような方法でその問題意識を解決するのかを書くことを求められる。もちろん、「計画書」なので、書いた通りに研究する必要はないし、不可能に近い。(そもそも、問題意識を解決する方法を考えるのが研究であって、最初から方法が分かっていれば全く苦労しない)。しかし、たとえ「絵空事」であったとしても、自分なりに自身の研究について考え、どこまでそれを考えているかを口頭試問などを通して見極められる。そこで、全く中身のない内容を答えるようであれば、指導が大変になることがすぐに想像がつくので当然試験には落ちる。
また、万が一試験に合格したとしても、2年間掛けて卒業論文を書くような生活になるため、日々が苦痛でしかないのは目に見えているだろう。絶対に進学は考えない方が良い。

おすすめできない理由② 研究者になるのは非常に難しい

次に「何となく博士課程を卒業すればどこかの大学の教員のポストは狙えるだろう」と思っている方がいるならば、ご自身が研究したいと思っている分野をJREC-IN(研究者の求人サイト)で検索してみて欲しい。

jrecin.jst.go.jp例えば、私の専門分野であった哲学・倫理学で調べたところ、本記事執筆時点で募集しているのはたったの9件しかヒットしなかった。念のために言うが、研究分野以外の条件は一切入れていない。

この9件のポストを巡って全国の博士課程修了見込者やポスドクが争うことになる。生半可な覚悟では難しいことがお分かり頂けるだろう。 継続的に検索している訳ではないので、この9件という数字には時期的な問題が含まれているかもしれない。しかしながら、基本的に大学教員のポストは厳しい。なぜなら、大学教員で増員というのはよっぽど社会的に注目されていない限りなく、欠員補充になるからだ。すなわち、教授が定年退職になるので新たに採用するという形の求人がほとんどなのである。また、改めて言うまでも無いが、博士課程を修了するのも非常に難しい。全国学会や国際学会での発表経験、査読付き学術誌に掲載された論文でなければ受理しない大学もある。
もちろん、本気で研究者になりたい方はこのような話は覚悟の上だろうし、止めるつもりは全くない。むしろぜひ挑戦して、閉塞した学問の世界に風穴を開けて欲しい。しかし、研究者になるつもりのない方には大学院進学はおすすめできないことが分かるだろう。

 

おすすめできない理由③ 大学院修了から就職は大学卒業時の就職よりも厳しい

さて、ここまで研究の厳しさや研究者としてのキャリアパスの難しさを語ってきたが、「別に大学院修了して研究者にならずに就職すればよくね」と考える人もいるだろう。理系ではそれが一般的で、大学卒業の学歴では文系と同じ仕事だが、大学院修了の学歴で初めて研究や開発、生産といった業務に携わることができるというパターンが多い。しかし、こういった考えにも実は落とし穴がある。

まず上述した理由①を読んでもなお、大学院進学を考える方であれば、ある程度研究は得意だという自信があるのだと思う。それは大いに結構であるが、実は就職活動の時に仇となる可能性がある。
まず、偏見かもしれないが優秀な大学院生は就職活動に向いていない人が多いように思われる。そもそも就職活動は、一言で言えば社会で受け入れられるための活動になる。すなわち、リクルートスーツを着て、髪を黒にし、派手な格好は避け、「一般的な人間」に擬態することが求められる。面接では、自己PRと称して、自分がいかに社会や会社に利益をもたらす存在であることをアピールすることが求められる。こういった営みは、研究とは正反対の方向を向いていると私は考える。なぜなら、研究をする上では、何か決まり切った概念に疑いの目を向け、批判的になる必要がある。就活に引きつけて言えば、「就職活動の場面ではリクルートスーツを着た方がよい」という結論の研究なんて何も考えていないに等しい。そうではなく、「なぜ、就職活動ではリクルートスーツを着ることが求められるのだろうか」を考えると研究としての価値が出てくる。研究とはそもそもそういうものである。そんな人が、いざ就職活動の場面になったときに、社会からの要請に応えようとすると非常に窮屈な思いをすることになる。切り替えを上手くできる器用な方であれば良いが、「なぜ社会はこうなんだ」「なぜ面接官はこうなんだ」となってしまうと、自分と社会との間に埋まることのない溝ができてしまう。就職活動については、また記事を改めて書きたい。

次に、日本においては非常に残念ながら文系大学院生の価値を理解している人間が非常に少ない。要は採用者側が、大学院卒という学歴を求めていないのである。なぜなら、文系大学院が何をしているのか、どう社会に役立つかよく分からない上に、年齢や学歴は大卒よりも上であるため待遇面で差別化しなければならないためである。文系大学院が何をしているか分からないというのは、皆さんの周りの学生を見ても分かる通りだと思う。多くの文系の方は「大学院」という言葉に触れずに卒業していく。大学院で何をしているのか知る由もない。加えて、古くからある会社であれば年齢給という制度があり、年齢が上であればその分(数千円ほどであるが)上乗せする給与規定になっていることが多い。また、理系を採用するような会社であれば、大学卒と大学院卒で初任給を明確に分けている場合もあるだろう。給料が高いのは良いことだが、「何しているのかよく分からないが学歴だけはある新卒」に「周りの大学卒生よりも高い給与」を支払う必要があるとなると、採用者側は採用を渋る可能性がある。もちろんこれは、大学院生が悪いのではなく、大学院生に対する社会の見方が悪いと言わざるを得ない。文系大学院生は1つの問題を粘り強く考え、自分なりに答えを出す能力を持った人間である。これは、これからの社会において非常に重要な能力であると私は思うが、社会はそこまで考えが至っていない。1人の文系大学院卒生として、少しでも文系大学院生に対する見方が変わる社会になることを願うばかりである。

長くなったが、以上見てきたように就職活動においては、大学院生側にも社会の側にも落とし穴があり、大学院生の就職活動は難しいという結論になる。もし、就職浪人を避けるために大学院進学を考えるのであれば、ここの内容を踏まえて考え直して欲しい。

最後に

以上、本気で研究者になりたい、もしくは資格取得などの目標がない限り、文系の大学院に進学することはおすすめしない。

しかし、ここまで散々否定しておいて言うのも何だが、大学院進学を視野に入れてもいいパターンもある。それは、「今のところ研究以外やりたいことがない」というパターンだ。「就職しようにも、やりたいことがない。だけど、卒業研究は何となく楽しかった」という方は大学院進学を考えても良いと思う。理由としては、まず卒業研究が楽しければ大学院生活もそれなりに楽しめる点が挙げられる。また、モラトリアム期間を延長することで何か自分自身の人生にプラスとなることに出会う可能性もある。その上で向かい風になるかもしれないが就職活動をしたければすれば良いし、研究の道にのめり込んだならその道を貫けば良いと思う。実際私も文系大学院から就職浪人せずに就職できた。(ただし、中身には全く満足していないので、何とも言えないところである)。
逆に、就活失敗しそうだから大学院に逃げるというのは非常に良くない。学費が無駄になるだけでなく、時間も無駄にしてしまう可能性がある。それなら、半年や1年就職浪人をして就職する方が良いと思う。

この記事を読んで下さる方が、良き進路に出会えることを祈りながら終わりたい。